【いくやまいまい】総理のふるさと、萩を観光

萩遊覧船

萩市は江戸初期、幕末そして明治維新にかけて数多くの歴史の舞台になっており、見どころが多いです。

備後落合経由で出雲市に行った後、萩市に立ち寄れたので、萩市の遊覧船と総理大臣の旧宅巡りをしてきました。

目次

「いくやまいまい」「かわたはわい」知ってますか

皆さんは「いくやまいまい おやいかさかさか」や「かわたはわい」という言葉を知っていますか?

高校で日本史選択された場合、知っている方も多いかもしれませんが、これは明治時代の総理大臣と、大正後期~昭和初期の総理大臣の覚え歌として有名なものです。

「いくやまいまい、、、」が「伊藤博文、黒田清隆、山縣有朋、、、、桂太郎」と明治時代の歴代総理の頭文字をとったもので、「かわたはわい」は「加藤高明、若槻禮次郎、田中儀一、、、犬養毅」と犬養毅までの総理大臣6名の総理大臣の頭文字になっています。

この内、萩市は「伊藤博文」「山縣有朋」「桂太郎」「田中儀一」と、なんと4名もの総理大臣を輩出している驚くべき都市です。

萩
萩は山口県の日本海側にあります

高崎市も「福田武夫」、「中曾根康弘」、「福田康夫」の3名と、多くの総理大臣を輩出しています。

萩の遊覧船

萩に着いて、まず萩の遊覧船に行きました。

萩遊覧船
萩八景遊覧船のりば

遊覧船はまず萩城の外堀から出発し、桜を右手に見つつ出発しました。40分の遊覧体験の始まりです。

遊覧船からの風景
遊覧船からの風景
お堀をゆっくりと進んでいきます

その後、松本川という川幅が150mほどもある大きな川をさかのぼります。左手にある松の木の下ではその昔、お茶会が行われていたそうです(道中、添乗員さんが教えてくれました)。

大きい川まで出てきました
最終的に海まで出ました

総理大臣の記念館めぐり

先に紹介した通り、萩市は「伊藤博文」「山縣有朋」「桂太郎」「田中儀一」と、なんと4名もの総理大臣を輩出している驚くべき都市です。

遊覧船を終えた後、総理大臣の旧宅巡りをしました。

総理大臣が住んでいた旧宅を徒歩圏内でめぐることができます。

萩地図
萩では総理大臣ゆかりの地を徒歩圏内で楽しめます

伊藤博文

「伊藤博文」元総理については、ほとんどの方が知っているくらい有名な総理大臣です。1885年に初代総理大臣に就任しているなど、功績は計り知れません。

伊藤博文
伊藤博文

その伊藤博文の旧宅は萩出身の総理大臣の中では最も萩城から遠い場所に位置しています。伊藤博文の旧宅は国指定の文化財になっていて、かやぶき屋根がとてもきれいに整備されていました。

伊藤博文旧宅
伊藤博文旧宅

田中義一

「田中義一」元総理は高校で日本史を選択していないとおそらく学ばない総理大臣です。

意外なところだと、タレントの「タモリ」さんの本名の由来になっているらしいです。

田中義一
田中義一

旧宅には山口の名産「夏みかん」の木がたくさんありました。明治維新により、経済的に打撃を受けた萩市は「夏みかん」によって経済を立て直したそうです。

静岡がお茶の産地になった理由と似ていますね

田中義一旧宅
田中義一旧宅

田中義一旧宅からは遊覧船で上った川を眺めることができ、とても風情がありました。

田中義一旧宅からの眺め
田中義一旧宅からの眺め(川には遊覧船も見えます)

ほかにも田中義一氏が大臣に任命された時の辞令書などが飾られており、見ごたえのある所でした。

山縣有朋、桂太郎

山縣有朋は「いくやまいまい おや、、、」の「や」の部分で第3代と第9代総理大臣です。

そして、桂太郎は「おやいかさかさか」の「か」で第11、13、15代総理大臣です。

「かさかさか」で西園寺公望と交代で総理大臣をしていた時代は桂園時代と呼ばれています

山縣有朋は山縣有朋記念館によると、「山縣有朋は陸軍創設に関わったことで、軍国主義の象徴として批判されてきましたが、近年は、外交・安全保障の観点から、現実主義者の面に光を当て、山縣有朋を見直す著作が相次いでいる。」とのことです。

山縣有朋
山縣有朋

萩の山縣有朋旧宅後には石碑しかなく、旧宅はなくなっているようでした。

山縣有朋旧宅
山縣有朋旧宅

そして、桂太郎旧宅は時間がなくて見に行けませんでした。。

萩のそば
萩で食べたそば

まとめ

萩市は江戸初期、幕末そして明治維新にかけて数多くの歴史の舞台になっており、見どころが多いです。

日本海にあって正直かなり観光しにくいですが、皆さんも機会があればぜひ萩市に行ってみてください。

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