現代の論文や討論会などにおいてHF法に基づいた量子化学の計算結果だけが報告されることは非常にまれで、ほとんどがDFTやより高度な計算手法に基づいた結果が示されます。
しかし、HF法は最も単純な理論であることから、現在も量子化学を学ぶ際には必ず通る理論であり続けています。
HF法の根幹はスレーター行列式一つで電子状態を表すこと(単配置)にありますが、これは最も利用されているDFT法でも同じです。このページでは単配置であることについて考えつつ、ハートリーフォック方程式を導きます。
HF近似とは電子状態を一つのスレーター行列式で表すこと
結論としては、ハートリーフォック方程式は、電子状態を1つのスレーター行列式(単配置)で表す近似(ハートリーフォック近似・平均場近似)によって得られます。
この近似によって、一つ一つの電子は自分以外の電子による平均的なポテンシャルを感じて運動する描写になります。
例として、水分子(電子数10)を考えましょう。最も簡単な基底関数(STO-3G)を選ぶと、基底(≒原子軌道)$\{\chi_i\}$の数は7つ(酸素の1s,2s,2px,2py,2pzと水素の1sが2つ)になります。この7つの基底$\{\chi_i\}$からは、直交するスピン軌道$\{\varphi_j\}$は2*7=14つ得られます。
「スピン軌道」とは1つの分子軌道$\varphi_i$に対して$\alpha$,$\beta$スピンのどちらが入るかを特定した軌道だよ
$\alpha$,$\beta$スピンの2通り入り方があるので、1つの分子軌道から2つのスピン軌道ができます
RHF法ではこのうちエネルギーの低い軌道から順に水の電子10個を入れて電子状態を作ります。つまり、$\ket{\Psi}=\ket{\varphi_1^\alpha\varphi_1^\beta\varphi_2^\alpha\varphi_2^\beta\varphi_3^\alpha\varphi_3^\beta\varphi_4^\alpha\varphi_4^\beta\varphi_5^\alpha\varphi_5^\beta}$です。
「HF近似」が近似と感じない方へ
「電子状態を1つのスレーター行列式(単配置)で表す近似(ハートリーフォック近似・平均場近似)」について、なぜ単配置で電子状態を表すことが近似になるのか釈然としない方も多いのではないのでしょうか?
下図のような電子状態の簡易的な組み立てとHF法は同じ描写だよね?
確かにそうですが、あくまでもこのような簡易的な図は本来の電子状態の一面しか表していません
実は、水分子の場合(基底関数STO-3G)、独立した(つまり直交する)電子配置は951個作ることができます。つまり、951個の基底ベクトルがあるにもかかわらず、HF法ではそのうちの1つしか使わずに電子状態を捕えようとしているのです。
951通りの数え方を解説
$K$個の基底関数からは直交する${\sum_{n=0}^N}$$_NC_n\cdot{_{2K-N}C_n}$個の電子状態を作れます。($N$個の占有スピン軌道から$n$個選び、$2K-N$個の非占有スピン軌道に振り分ける場合の数)
STO-3Gの水分子の場合、スピン軌道は$2K=2*7=14$、電子数は$N=10$です。励起先のスピン軌道は4つ開いているため、全ての電子配置は${\sum_{n=0}^4}$$_{10}C_n\cdot{_4C_n}=951$通りあります。
簡単に言うと、影(2次元)や身長(1次元)だけで元の姿(3次元)を知ろうとしているようなものなのか。それは難しそうだね。
それでもHF法は電子エネルギーの99%以上を表現できます。これはすごいことですよね。
ハートリーフォック式の導出
では、HF近似を使ってハートリーフォック式を導いておきましょう。
HF近似では電子状態を一つのスレーター行列式(つまり単配置)で表します。$\Ket{\Psi}=\ket{\varphi_1^\alpha\cdots}$
軌道が規格直交であること($\Braket{\varphi_a|\varphi_b}=\delta_{ab}$)を課しながら、電子状態のエネルギー$E_0$が最小になるようなスピン軌道の組を探します。
つまり、ラグランジアン$\mathcal{L}=E_0-\sum_{ab}\epsilon_{ba}(\braket{\varphi_a|\varphi_b}-\delta_{ab})$について、スピン軌道$\chi_a$が$\delta\chi_a$の分だけ微小変化した際に$\delta\mathcal{L}=0$を満たすスピン軌道の組$\{\chi_i\}$を見つければよいことになります。
$\Ket{\Psi}=\ket{\varphi_1^\alpha\varphi_1^\beta\cdots}$の場合、エネルギーが$E_0=\sum_a\Braket{\varphi_a|h|\varphi_a}$$+\frac{1}{2}\sum_{ab}\{\Braket{\varphi_a\varphi_b|\varphi_a\varphi_b}-\Braket{\varphi_a\varphi_b|\varphi_b\varphi_a}\}$によって計算できることを利用すると、$\delta\mathcal{L}=0$からハートリーフォック方程式$f\ket{\varphi_a}=\epsilon_{a}\ket{\varphi_a}$を得ることができます。
詳しい導出はこちら
補足1
補足2
なぜHF近似は平均場近似と呼ばれるのか
HF近似はよく「一つ一つの電子は自分以外の電子による平均的なポテンシャルを感じて運動するとする近似」と呼ばれます。
これは、$\varphi_a$に関するハートリーフォック方程式は$[h(1)+\sum_b(\mathcal{J}_b-\mathcal{K}_b)]\ket{\varphi_a}=\epsilon_a\ket{\varphi_a}$になりますが、この$\mathcal{J}_b\ket{\varphi_a}$の部分をあらわに書くと$\int\text{d}r_2\varphi_b^\ast(r_2)\frac{1}{r_{12}}\varphi_b(r_2)\varphi_a(r_1)$ですが、これは$\int\text{d}r_2\frac{1}{r_{12}}|\varphi_b(r_2)|^2\varphi_a(r_1)$と変形できます。
これは$\varphi_a$に入る電子は分子軌道$b$にいる電子の存在確率$|\varphi_b|^2$による平均的な静電ポテンシャルを感じて運動するという風に解釈できるので、HF近似は平均場近似と呼ばれます。
まとめ
このページではHF法の根幹である単配置性について考察しつつ、このHF近似を利用してハートリーフォック方程式を導きました。
現代の論文や討論会などにおいてHF法に基づいた量子化学の計算結果だけが報告されることは非常にまれですが、HF法は最も単純な理論であることから、量子化学を学ぶ際に必ず通る理論であり続けています。
また、DFTも単配置の理論なので、DFTを利用する際は単配置であることのイメージを持って計算を行いましょう。