量子化学において井戸型ポテンシャルの問題は基本の「き」です。
しかし、井戸型ポテンシャルの問題と実際の分子軌道にある類似点に気が付いていない方も多いのではないでしょうか?
このページでは水分子の量子化学計算結果と井戸型ポテンシャルの結果を比べて、両者の類似点と相違点を調べていきます。
- 井戸型ポテンシャルと分子軌道の類似点3つを紹介します。
- 井戸型ポテンシャルと分子軌道の相違点2つを紹介します。
井戸型ポテンシャルのおさらい
ご存じの方も多いと思いますが、井戸型ポテンシャル(有限の深さ)は下のようなものです。
一次元の井戸型ポテンシャルに対するSchrodinger方程式は次のような形です。
$-\frac{1}{2m}\frac{d^2}{dx^2}\psi+V\psi=E\psi$
方程式の解が関数ってなんだかワクワクするよね。
Schrodinger方程式を解くことで、いろんな結果を得ることができます。
でも、なぜ井戸型ポテンシャルを量子化学で扱うかイメージできないよ
実は、井戸型ポテンシャルの波動関数と分子軌道には類似点があります。実際に見てみいきましょう。
井戸型ポテンシャルと分子ポテンシャルの共通点
井戸型ポテンシャルで得られる波動関数と、分子軌道には共通した特徴を3つ持っています。
- エネルギー準位は飛び飛びに量子化される。
- 電子の存在確率が外界にしみ出す(トンネル効果)。
- 得られる波動関数は直交する。
エネルギー準位は飛び飛びに量子化される。
まずは一つ目の共通点「エネルギー準位は飛び飛びに量子化される。」を見てみましょう。例えば、水分子の量子化学計算のエネルギー準位結果はこちらです。
Orbital | 1 | 2 | 3 | 4~ | |
E(eV) | -528 | -39 | -21 |
エネルギー準位が飛び飛び(-528→-39→-21→・・・)になっているね。
もちろんこれは古典力学にはないふるまいです。古典力学ではエネルギーは連続した値を取り得ます。
電子の存在確率が外界にしみ出す(トンネル効果)
次に、水分子のLUMO軌道を見てみましょう。
水分子のLUMO軌道は水原子のpz軌道だけから構成されているね。
Orbital | 5 | |
LUMO | ||
E(eV) | -13.9 | |
O | 1s | 0.00 |
2s | 0.00 | |
2px | 0.00 | |
2py | 0.00 | |
2pz | 1.00 | |
H1 | 1s | 0.00 |
H2 | 1s | 0.00 |
このLUMO軌道について、z軸方向のポテンシャルと電子の存在確率を見てみましょう。
波動関数$\phi$を2乗すると電子の存在確率の分布が得られるよ。
計算してみると酸素原子から離れたところで軌道エネルギーよりポテンシャルが大きくなっています。
つまり、酸素原子から18Å以遠は波動関数が染み出すエリアです。
ほとんど$0$のように見えるけど、ガウス関数で表されている以上、存在確率は必ず$0$より大きいね。
水分子をRHF法で計算した結果、小さいながらトンネル効果はあり、井戸型ポテンシャルとのアナロジーがあることがわかりました。
得られる波動関数は直交する
最後に、波動関数の直交性という類似性を見ていきましょう。
波動関数が「直交する」ってどういうこと?
簡単に言うと$\sin(x)$と$\sin(2x)$のような関係だよ。この2つを掛け合わせた$\sin(x)\sin(2x)$を$[0~2\pi]$で積分すると$0$になるんだ。
例えば、無限井戸型ポテンシャル$[0\le{x}\le{a}]$の場合、波動関数は$\psi_n=\sqrt{\frac{2}{a}}\sin\frac{n\pi}{a}x$ですが、これらの波動関数は$\int\psi_i\psi_jdx=0$を満たしています。
波動関数の直交性が水分子の軌道でも成り立っていることを確認してみましょう。
Orbital | 3 | ~ | 7 | |
E(eV) | -20.8 | 15.7 | ||
O | 1s | 0.00 | 0.00 | |
2s | 0.00 | 0.00 | ||
2px | 0.73 | 1.15 | ||
2py | 0.00 | 0.00 | ||
2pz | 0.00 | 0.00 | ||
H1 | 1s | 0.29 | 1.06 | |
H2 | 1s | -0.29 | -1.06 |
水分子の3番目と7番目の軌道で考えよう。
$\phi_3=0.73\chi_{2px}+0.29\chi_{H1}-0.29\chi_{H2}$
$\phi_7=1.14\chi_{2px}+1.06\chi_{H1}-1.06\chi_{H2}$
2つの波動関数の積分値は次のように計算していくことになります。
$\int\phi_3\phi_7=0.73{\small{\ast}}1.14\int\chi_{2px}\chi_{2px}$${\small{+}}0.73{\small{\ast}}1.06\int\chi_{2px}\chi_{H1}{\small{-}}0.73{\small{\ast}}1.06\int\chi_{2px}\chi_{H2}$$+\cdots+0.29{\small{\ast}}1.06\int\chi_{H2}\chi_{H2}$
原子軌道の重なり積分値を代入しましょう。
これは水分子の原子軌道から計算できます。
重なり積分 | O | H1 | H2 | |
2px | 1s | 1s | ||
O | 2px | 1.00 | 0.42 | -0.42 |
H1 | 1s | 0.42 | 1.00 | 0.23 |
H2 | 1s | -0.42 | 0.23 | 1.00 |
すると結局は、積分値が$0$になります。
$\int\phi_3\phi_7$
$=0.73{\small{\ast}}1.14{\small{\ast}}1.0{\small{+}}0.73{\small{\ast}}1.06{\small{\ast}}0.42-\cdots$$=0$
一つずつ計算していくと最終的に積分値は$0$になるんだね。
つまり、水分子には井戸型ポテンシャルと同じように波動関数に直交性があります。
【相違点】波動関数の形状
井戸型ポテンシャルの波動関数と水分子の分子軌道には類似点がいっぱいあるんだね。
実は、相違点があります。1つめは波動関数の形状です。
原子近くの形状
井戸型ポテンシャルでは井戸内部での波動関数は$\sin(x)$や$\sin(2x)$のように、「節」を持ちます。
しかし、例えば水分子の下から2番目の分子軌道を見てみましょう。
Orbital | 2 | |
O1のAO | 1s | -0.17 |
2s | 0.88 | |
2px | 0.00 | |
2py | -0.17 | |
2pz | 0.00 | |
H1のAO | 1s | 0.10 |
H2のAO | 1s | 0.10 |
この軌道は主に酸素原子2s軌道から構成されています。
2s軌道ということは量子数が$n=2$だから、節を1つ持つはずだよね。
しかし、x軸方向に酸素原子の2s軌道を描画すると節を持っていないことがわかります。
この相違点は原子軌道としてgaussian軌道を利用しているため、節の表現が困難であることに起因します。
原子から離れたところでの形状
2つめの相違点は、原子から離れたところでの波動関数の形状です。
Schrodinger方程式を水素原子に対して解いた場合、原子遠方での波動関数の減衰は$e^{-x}$に沿って減衰するという結論が得られます。
でも、量子化学計算では酸素原子遠方で$e^{-x^2}$に減衰してしまってるね。
この相違点も原子軌道としてgaussian軌道を利用しているため、$e^{-x}$に沿った波動関数の減衰の表現が不可能であることに起因します。
まとめ
井戸型ポテンシャルから得られる波動関数とRHF法から得られた水分子の分子軌道の間にある類似点、相違点を見てきました。
井戸型ポテンシャルは厳密解を得やすいため、大学での授業で取り扱われやすいです。それだけでなく、分子軌道の性質とも類似点が多いことにも注目して頂ければと思います。