化学ポテンシャルは化学において黒子のような存在ではないでしょうか?
例えば実験やプラント設計の際に物質の化学ポテンシャルを考える方は稀だと思います。しかし、化学ポテンシャルは化学平衡定数などの原理を示してくれるので、「普段は意識されないけど、実は化学現象の根底を司る黒子的存在」です。
さらに、化学ポテンシャルは溶解度や高度気圧の振る舞いまでも説明できるという広い守備範囲を持ちます。このページでは化学ポテンシャルで説明できる化学現象5つを紹介します。(このページは「共立出版 君塚英夫著 化学ポテンシャル」を参考にしています)
化学平衡(分子の化学ポテンシャル)
化学ポテンシャルによって説明される一番オーソドックスな現象は、平衡反応の反応進行度合い(どの程度反応が進むか)を考える問題です。
例えば、平衡反応$\text{N}_2+3\text{H}_2\rightleftharpoons2\text{NH}_3$を考えます。反応が進むことによるギブズエネルギーの変化量$\text{d}G$は反応進行度$\xi$を用いると、$\text{d}G=\sum_i\mu_i\text{d}n_i=-A\text{d}\xi$と書くことができます。($A$は化学ポテンシャルの和(差)$A=\mu_{\text{N}_2}+3\mu_{\text{H}_2}-2\mu_{\text{NH}_3}$)。
ここで、各物質を理想気体とすると、分圧$p_i$を持つ物質の化学ポテンシャルは$\mu=\mu^0+RT\ln{p_i}$とできるので、$A=A^0+RT\ln\frac{p_{\text{N}_2}{p_{\text{H}_2}}^3}{{p_{\text{NH}_3}}^2}$となります。
化学平衡の条件は$(\text{d}G)_{T,p}=0$(つまり$A=0$)なので、化学平衡点では$\ln\frac{p_{\text{N}_2}{p_{\text{H}_2}}^3}{{p_{\text{NH}_3}}^2}=-A^0(\text{定数})$となります。
したがって、化学平衡では$K=\frac{p_{\text{N}_2}{p_{\text{H}_2}}^3}{{p_{\text{NH}_3}}^2}=\text{定数}$が成り立っており、これは高校化学でも習う化学平衡定数$K$のことです。
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凝固点降下(分子の化学ポテンシャル)
水は$0\text{℃}$で凍りますが、海水は$0\text{℃}$では凍りません。
このような、溶媒Aに溶質Bが解けた際に、純粋なAの融点からのどれほど凝固点が下がるかも化学ポテンシャルで説明ができます。
溶媒Aに溶質Bが解けた際、新しい凝固点での固体Aと溶媒Aの化学ポテンシャルが等しくなるので、$\mu_A^0(s)=\mu_A^0(l)+RT\ln{x_A}=\mu_A(l)$が成り立ちます。この式とギブズ-ヘルムホルツの式$\Delta{H}=-T^2\Bigl[\frac{\partial}{\partial{T}}\Bigl(\frac{\Delta{G}}{T}\Bigl)\Bigl]_p$を利用することで、凝固点降下を$\Delta{T}_f\sim\frac{R(T_r^0)^2M_A}{(\Delta{H}_f^0)1000}m_B$で求めることができます。($T_r^0$は純粋状態での凝固点、$M_A$は溶媒の分子量、$\Delta{H}_r^0$は融解熱)
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例えば、凍結防止剤である塩化カルシウム10gを水300mlに入れると、凝固点を1.8℃ほど下げることができます。
電池電圧(イオンの化学ポテンシャル)
これまで、分子などの化学ポテンシャルを考えていましたが、金属イオンの化学ポテンシャルも考えることができます。
例えば、ステンレス上に鉄くぎを置いていると鉄くぎがさびてしまいます(異種金属接触腐食)。これは、ステンレスにおける電子と鉄における電子の化学ポテンシャル差を解消しようと電子が移動するためです。
金属腐食は喜ばしいものではありませんが、もし電子の移動を回路を通じて行うことができれば、電池として仕事を外部に取り出すことができます。
例としてダニエル電池$\text{Zn}|\text{ZnSO}_4\text{aq}||\text{CuSO}_4\text{aq}|\text{Cu}$の標準電圧は各層における電子の化学ポテンシャルを用いて$E^0=\frac{\mu_{\text{Zn}^{2+}}(S)-\mu_{\text{Zn}^{2+}}(M)-\mu_{\text{Cu}^{2+}}(S)+\mu_{\text{Cu}^{2+}}(M)}{2F}$で与えられます。
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溶解度(大きさを加味した化学ポテンシャル)
分子の大きさを加味した溶解現象もHildebrandによる理論を使うことによって、化学ポテンシャルで説明ができます。
例えばエタノール(お酒)は水と任意の割合で解けますが、炭素数が増えるにつれて水に溶けなくなります。
正則溶液(水と油のようなファンデルワールス力しか働かないような物質の溶液)の場合、溶液A(水)に$x_B$だけ溶けた溶質B(油)の化学ポテンシャルは$\mu_B=\mu_B^0+RT\ln{x_B}+V_B(1-\phi_B)^2(\delta_A-\delta_B)^2$で与えることができます。($V_B$は分子の大きさ、$\phi_B$はBの体積分率、$\delta_A,\delta_B$はA,Bの蒸発熱)
この式を利用すると、水(A)への油(B)の溶解度は$x_B=\exp\Bigl(-\frac{V_B(\delta_A-\delta_B)^2}{RT}\Bigl)$となります。
つまり、油の大きさ$V_B$が大きくなるほど指数関数的に溶解度$x_B$は溶けにくくなることがわかります。
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補足1
補足2
沈降平衡(重力を加味した化学ポテンシャル)
化学ポテンシャルに重力ポテンシャルを加味することも可能です。通常の実験室やプラントレベルで重力による影響が表れることは稀ですが、地球規模のスケールで見た場合は重力によるポテンシャルを加味する必要が出るケースがあります。
空気中の分子の化学ポテンシャルは$\mu^0+RT\ln{x}+Mgz=\mu^0+RT\ln{x}^0+Mgz^0$となりますが、地表での条件($x^0=1$、$z^0=0$)加味とすると、$x=\exp\Bigl(-\frac{Mgz}{RT}\Bigl)$となります。
つまり、上空になるにしたがって、指数関数的に空気の濃度は下がることが示唆され、実際の測定もその通りになっています。
まとめ
このページでは、化学ポテンシャルによって説明されるオーソドックスな現象である化学平衡定数、凝固点降下、電池電圧だけでなく、意外なことに溶解度や高度気圧の振る舞いも化学ポテンシャルによって示されることを紹介しました。
実験やプラント設計を行う際に物質の化学ポテンシャルを考える方は稀だと思いますが、化学ポテンシャルは化学平衡定数や溶解度などの原理からその温度・分子サイズ依存性まで示してくれるので、実は化学現象の根底を司る黒子的存在です。
化学ポテンシャルを使うことで、このページの5選以外にも、Pxy線図、浸透圧、吸着平衡なども考えることができるので、皆さんも一度考えてみてください。